SHS工法とヒートポンプで、真冬でも半袖ですよ。
音更町に住んでいる K さんが、150km 以上離れている北見市の光栄建設さんに家を建ててもらったのはこれで 2 棟目。地元ではなく、わざわざ遠い会社に頼む理由は、SHS 工法と社長への高い信頼、そしてヒートポンプにまつわる 2 人の熱いドラマがあったからなのです。

SHS 工法に惚れ込んだ 1棟目
そもそもKさんが最初に光栄建設さんに出会ったのは、 昭和も終盤の頃。北見に住んでいた時代、よく遊びに伺っていた知人の家がなんとも気に入りました。どの季節に行っても他の家とは違い、入った瞬間から涼しさや暖かさの空気が違っていたのです。 聞くと、光栄建設で建てた家とのこと。紹介してもらったおり、SHS工法の外断熱の説明を受け、最先端の家への考え方と技術にとても惹かれたと言います。
数年後、
音更で新築することになったときには、周囲の「遠いから割高になる!」
という忠告をものともせず、迷わず光栄建設さんにお願いをしました。
それから14年、SHS工法で建てたわが家はいつも春のような心地よさでした。夏は涼しく、冬はちょっとの暖房で家中暖かく、性能の良さに大満足。そんな折、土地区画整理にひっかかり、家を建て直すことになってしまったのです。
社長を信頼して日本初?を導入した 2 棟目
大きい家であることが写真でもわかる。 中には縁側と廊下があるのだとか。
Kさんは北見まで相談しに出かけました。
光栄建設の土屋社長はビックリするとともに「よく来てくれた!」と手放しで大喜び。 ぜひ2棟目も一緒にやりましょう!と2人で盛り上がったのです。ちょうどその頃、土屋社長の自宅では外国でみつけてきたヒートポンプを試していた時。まだ日本には入ってきていない時代です。
「2月の一番寒い時期に来てくれないか」と土屋社長はKさんを自宅へ呼びました。なんとその日は外の気温はマイナス20℃以下!暖房は23℃に設定。家の中は…というと、「全室が柔らかな暖かさに包まれてビックリしたんですよ。1晩、泊めてもらいましたけど冬とは思えなかったですね」とKさん。
これからはヒートポンプの時代だ、と確信したKさんは、土屋社長の薦めもあり、日本メーカーが普及前に造った試作品の7台のうち、2台を新居に設置することにしました。かといって、まだ試作品の段階。日本初の国産ヒートポンプになるかもしれず、誰しもが手探りの状態。不安がなかったわけではありません。実際、かなり悩んだと言います。
「もしも上手くいかなかったときは責任もってくれよ、と社長に言ったものの、地熱利用ヒートポンプだから基礎からやり直すことになる。
それは非現実的だと思っていましたよ。
だからね、社長を信頼するしかないって思いましてね(笑)」とKさんは言います。そうして新しい家が完成したのです。
『 いい家は人を繋げる力がある 』
<写真>K さん宅の地下に配されたヒートポンプの機械。 初期の物なのでまるで工場のように配管が
たくさんある。今はもっとシンプルでコンパクト。
「1年目の冬は大変だった-」とKさん。真冬に機械が何回も止まり、
そのたびにあちこちへ電話で相談、メーカーの方が本社から来たり、
土屋社長も北見から幾度となくやってきました。
そういった数々の不備を修正した国産メーカーの2号目がとうとう完成。
それに取り替えてからは、今までの苦労が問題にならないくらい
快適な生活になったと言います。
75坪と大きな家でも、冬は23℃に設定。
でも家の中は半袖でちょうどいいとのお話にビックリ。
冬に他のお宅へ遊びに行っても、寒くて帰ってきてしまうのだとか。
暖房代は?と聞くと、ヒートポンプ1台で約6千円。Kさんのお宅は大きいので2台設置。月に約1万2千円しかかかっていないとのことです。
それはSHS工法の外断熱だからなのでしょう。
毎月集金に来る新聞屋さんが、冬は「どうしてこんなに暖かいの?」
夏は「どうしてこんなに涼しいの?」と聞くのだとか。
何百件ものお宅に伺っているなかで、新聞屋さんはKさんの家にすっかり惚れ込み、とうとう自宅を新築することになりました。
もちろん、Kさんに紹介してもらった光栄建設さんでです。それはまるで以前のKさんが知人に光栄建設さんを紹介してもらったように、「人を惹きつける家」が繋げた縁でした。
「私はSHS工法とヒートポンプの、こんなにスゴイ組み合わせをなんでもっとPRしないの?と社長に言うんですよ。だって冷暖房代が圧倒的に安いのは主婦の味方でしょ?さらにCO2の削減にもなるし、地球温暖化防止にもつながる。 どんどんわが家に見学に連れてきてもいいんだからって、お尻をたたいているんですけどね(笑)」
そう笑うKさんは、SHS工法の最強のサポーターですね。